元NHK記者で、「週刊こどもニュース」の編集長、お父さん役で人気になって退職。本来、解説委員になられる方だった思うのですが、専門分野がないということが理由で、著述中心にとフリーになたれたようです。フリーになられた当初は講演はすべて断って、著述に専念。コーディネーターだけは受けてくださってました。
コーディネーターとして受けてくださったこともありますが、どんな分野でも、なんでもこいで、専門家の難しい話を分かりやすく解きほぐし展開していくという見事な捌き方。
池上さんを世間がほっておくことはなく、その後のテレビでも多く起用され、池上無双の切れ味を存分に披露しておられます。小学校児童を対象に、一緒に考えるといった企画でコーディネーターを六月の暑い日に務めて頂いた時は、ほんの15分の合間休憩の時に、緞帳が閉まった後、登壇していた児童たちが池上さんのところに集まってしまって質問責めに、、、でも嫌な顔ひとつせず、丁寧に答えて、汗だくになったのでジャケットを脱いだだけで、次のセッションに・・・。講師として、コーディネーターとして、本当に素晴らしい方だと思います。テレビでの出演、著述も多忙、お忙しいすぎて、スケジュールが押えにくいところだけ、つらいところです。
一般社団法人全国医学部長病院長会議顧問、一般財団法人ものづくり医療コンソーシアム顧問、日本消化管学会理事、日本消化器病学会財団評議員・指導医、日本消化器内視鏡学会評議員・指導医、米国消化器病学会および米国大学消化器病学会評議員等数々の要職をお勤めになられてます。
また、大阪万博誘致アカデミックアンバサダー等を務めておられる異色の医師。第一に楽しいことをモットーとしておられます。その著書も「ドクトル哲男放浪記」(※ドクトルまんぼう航海記の署名をパロっておられるのでしょう。)、学会でもビートルズのポールマッカートニーに扮したりと多くの人々を喜ばせるエンターテナ―な一面もお持ちです。何事も明るく楽しくさせてくださる方ですm(__)m
生まれ。経済・経営評論家、中国古典塾・塾長。広島大学文学部哲学科卒業後、産経新聞大阪本社編集局に入社。広島支局、呉支局、大阪新聞部、東京本社販売局企画開発部を経て、大阪新聞社編集局企画担当部長就任。1979年退社、後、フォーラム・泉事務所設立。各種勉強会を開設。
著書:『怒涛に燃える』『五圓玉人生』『エスポワールの世界』『古典は叱る』『勝機』『逆境に道あり』
京南倉庫株式会社 代表取締役、詩人。様々な経済団体の要職や国の審議委員等を務めておられます。21歳の時に同社の経営者となられます。と言っても、お身内の不幸のためやむなく経営することになったそうです。それも赤字会社を…。苦労を背負いこまれたわけですが、当時、実施されていなかった「商品情報の一元管理」を実現したり、流行りかけていたイタリアンレストランのワインの保冷倉庫を提案したり、様々な工夫をして、経営を立て直されました。自社のアイディアはもちろんですが、今では国家にも提案しておられるようです。甲南を創立した平生釟三郎についての著書他。
父の早世、後見の祖父も亡くなり、5歳で家元となられました。若くして家元歴は長く、若くして小原流を担う五世。若き家元として、またイケメン家元として、女性誌等マスコミでも取りあげられることが多いのですが、ご本人はいたって自然ですが、何とも言えぬオーラを発しているように感じるのは僕だけでしょうか。講演やパネリストとしての発言も変な力が抜けていているのですが、ブレないところがすごいなと感じます。立ち居振る舞いが、さわやかで美しい。
小原宏貴さん 公式ホームページurl
http://hirokiohara.com/
日本中世史、特に戦国時代史を中心に研究しておられます。歴史の著名人を多く描いておられます。大悪人と祝える明智光秀が実は優秀な武将であり、国政にもたけていた等、事実を検証したり、戦国武将の生き様や哲学を現代にもつなぐという視点をお持ちです。様々な視点から分析した歴史の事実をソフトな口調で語ってくださいます。
公式サイトurl
https://office-owada.com/
ユング派心理学や実用的な占星術まで著述や翻訳活動を行う。占星術師として人気があるが、占星術の世界を理論づけて説得力のある発言を行う方という印象が強い。理路整然と話をされるので分かりやいです。
京都工芸繊維大学卒、竹中工務店に入社し建築設計を担当。主な建築作品に新神戸オリエンタルシティ、武者小路千家起風軒、佐川美術館等。
正倉院の下見をした際に、どうしても確かめたかったいう木材材料の立っている方向を見て「やっぱりっ。正倉院の校倉を支えている土台の丸太の向きが植えられていた時の方角をきっちりと向いて建っている」と指摘されました。「古代の匠たちは材料の性質を知り尽くして建てていたんだなぁ」とぽそり。また「正倉院は世界最大級のログハウス」「平城京建設において、公共建築をはじめ、天皇・皇室・貴族の建物などが優先されたろう。いわば相当な建築ラッシュで材料が少ない、人手も足りない中で、材料を無駄にせず、専門的な匠が少なくてもできて、しかも工期短縮ができるログハウスの工法を用いたんではないか」とおっしゃられてました。
1978年生まれ。東大生現役モデルとして注目され、女優やキャスターとして活躍しておられます。大学では建築学を専攻。テレビ等でもその頭脳明晰さは披露されております。もちろん専門ばかりではなく、いろいろな分野のパネリストとしてキャストされたとしても、安定した回答をされると思います。バラエティへの出演もされてますので、アドリブも効く方だと思います。
歴史関係で、中近世時代とかの番組や映画を作ろうかなと思うと、館長に聞けということが多いようです。大きな河のドラマや、その時の歴史はなんだったけとかいった番組もよくお世話になっておられるようです。
もちろんいろいろな事業やプロジェクトにも関わっておられるます。
講談師の旭堂南陵さんと北川央さんとの通称「南北戦争=南陵vs北川」と言われる歴史対談は人気があるそうです。歴史だけではなく、いろいろなお話がとにかくおもしろくて、おもしろいことを分かってくださるので、おもしろいです。
大学の卒論で書いた「ラブホテル進化論」という著書が話題に。初版時、書籍が平積みとなり、書籍帯の顔写真と書籍タイトルのアンバランスさに目を惹かれた方も多かったのではないでしょうか。モーテル、レジャーホテル、ラブホテル、夜間中学校、ジェンダー等日本文化史を研究しておられます。
研究テーマが風俗ぽいところから誤解する向きもあるかもしれないですが、研究はフィールドワークを中心にヒアリング等もしており、天然なところもあって、おもしろいキャラクター。地元貢献活動にも力を入れたり、音楽アーティストとしても活躍する等、精力的に活動しておられます。
京都藝術大学美術研究家文化財保存学専攻修了。京都東寺木造四天王立像・奈良長谷寺木造地蔵菩薩坐造・京都国立博物館石碑仏ほか多数の文化財修復や復元模刻に携わられました。
文化財の修復や復元は、当時使われていた材料や作り方を行わないといけない。材料を調べるのも、作り方と言っても今はなくなってしまった作り方等もある。文化財を未来の財産として伝えていくためには氏のような研究実践をされておられる方が不可欠だと思います。
子供のころから読書家で、同志社では文学研究をしておられました。歴史小説を書いておられて、数々の賞を受賞し、本格的歴史小説家の登場とまで言われておられます。
全作品を読んだのではないので、ご本人から違いますと言われるかもしれませんが、描いておられる小説の時代は古代から近世・・・、歴史小説と言えば時の権力者や剣豪、等光輝く著名人を主人公とする作品が多い中、澤田さんの作品は庶民や職業人の目線からその時代をリアルに切っていくというスタイルなんでしょうか。。。それだけに、その時代をできる限り調べた上で、想像力をフルに働かせての執筆となっているのでしょう。迫力があります。
パネリストでご出演頂いた際には、コーディネーターの質問と他のパネリストのお話に対する受けと切り返しが絶妙で、豊富な知識を盛り込みつつ、とても分かりやすく、お話してくださったのが印象的でした。
学生の時にはお能を演じられたこともあるそうです。
澤田 瞳子さんtwitter
https://twitter.com/nono_sansan
歌手デビューしてから、独特の完成と才能で多くの共感を得て、シノラーブームを巻き起こした。ものおじしない天然キャラで大物芸能人やアーティストにもかわいがられ、多様な人脈をもっているようだ。ブレイク当時ははっちゃけたキャラを全面に押し出していたが、今はユーミンのステージ衣装を担当したり内閣官房長官知的財産戦略のメンバーに推薦される等、衣装デザイナーとして、クリエイティブに活躍する。
天文を愛する空ガール。
母方の曾祖母は最高巫女。彼女にもそういった一面を感じさせるところがあり、魅力だ。
著作の「僕は坊さん」はAlways三丁目の夕日のスタッフ、主役 伊藤敦史で映画化されました。高野山大学で密教を学び、大学では密教と南方熊楠をテーマにして卒業論文を書かれました。書店員から住職の祖父が逝去され、ご住職を継ぐことになり、苦労しつつ坊さんになりつつ、弘法大使の考え方を、日常の暮らしや視点から分かりやすく説きほぐして伝えようとしておられます。
難しいことを難しくなく話をするというのが難しいと思いますが、それをしておられるのだと思います。
白川密成wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%81%AF%E5%9D%8A%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%82
専門は日本古代史。正倉院文書研究の第一人者。正倉院文書は狭い意味では写経(お経)ですが、当時、神そのものが貴重だったの、裏面も使われてます。その裏面に書かれていることが、千年以上も前の社会を知る上でたいせつな史料なのだそうです。当時の戸籍や正税帳等もあるそうです。戸籍には課税しないといけないので、その個人の特徴(顔にあるほくろや指の長さとか)等も書かれていて、お身体が不自由な方は免税したといったことも書かれているとか・・・。
正倉院宝物についての説明も、専門的な部分から解きほぐして、分かりやすくしてくださいます。
1963年生まれ。城郭考古学の専門家。ご本人の発言からお城が大好きというのが、すごい伝わってきます。世界各国のお城を研究しておられますので、日本のお城がどういうものかというのをより魅力的に語ってくださいます。お城には防御する役割と政務をとる、居城といったいろんな役割があって、日本が美しいカタチを多く残すのは戦国時代の終わりのタイミング等もあったとか。。。もう少し長引いていたら無くなっていたかとも。。。城を語り始めたら、尽きることがない方です。キャラクターもおもしろい方ですm(__)m
武庫川女子大学教授を務めておられました。谷崎潤一郎研究、熱烈ファン、そして語り部。谷崎邸保存活動などにも精力的に動いておられました。源氏物語千年の折に対談をして頂いたことがありますが、言いにくいこともさばさばとスッキリとお話しておられた印象があります。
「サラダ記念日」で、短歌界に新風を吹き込み、一躍、時の人に・・・さらに「チョコレート革命」では「サラダ記念日」とは違う作風に、多くの人が衝撃を受ける・・・。俵さんの外見は穏やかそ~なイメージですが、作品からは独特のエネルギーがふつふつと湧き出しているように感じます。
源氏物語千年にちなむ一般参加のイベントでご一緒させて頂いたことがあります。その時は、源氏物語縁の地で、一般の方がその地を巡りながら短歌を詠むという会で、その詠まれた短歌をその場で選考するというものでした。およそ200名もの方が詠まれた短歌をおよそ一時間くらいで選考するのは至難の業かと思いますが、別部屋での集中で、毎回(7~8回ほど開催されたと思います)すらり。
講評のコメントもセンスにあふれ、参加者はみな大満足だったように記憶しています。
パネリストとして出演された時にもお手伝いをさせて頂きましたが、やんわり、さらり、きっちり、ぴりりといったコメントでした。
イギリス生まれで、いろいろな国を巡り、日本に来て住み着いた彼女は、講師やパフォーマー、また落語家としての顔を持っています。たくさんの国を知っている彼女は各国の多様な文化や民族性の違いを自分目線で分かりやすく、楽しくお話します。ストリートパフォーマーとして人を楽しませる技術もお持ちです。日本に来てから故・桂枝雀さんのお茶子をしていて、今では落語家としても活躍しておられます。英語と日本語を織り交ぜた巧みな笑いで、日本人も外国人にも受ける話や落語でお客様を楽しませます。
京都市立芸術大学大学院美術研究家終了。正倉院宝物の保存および調査研究を行っておられます。「正倉院宝物の復元はもうひとつの国宝を作っているのと同じです」とおっさられます。当時使われていた材料、作られ方をそのままに復元されるらしいですが、制作をお願いするのは現代の匠。現代にまで伝わっている技法は古代の技法から変わりながら、今の技法になっているので、そのとおりにできないこともある。
正倉院宝物をできるだけそのままに、できるだけ長い時間、伝えるために努力しておられます。
大阪大学で都市環境デザインを学び、ゼネコンで開発計画を担当。その後、東京大学で再度、都市計画を研究する。人口がどんどん少なくなっているのに、首都圏ベイエリアには超高層マンションが建つ、地方都市にも超高層マンションや新しい住宅地が開発される。これって、今までに開発されて空き家にどんどんなっているマンションや住宅のインフラを無視している。新たな開発のために税金を投入して、地方都市は駅近くの良きところが誰も住まなかったり空き店舗になったりしている。おまけに超構想マンションは防災上も問題があると、空き家とかをもっと効果的に使うべき等とと唱えておられます。時代の流れに杭を刺す、強い意思が感じられます。
城メグリストとして、講演、出版、テレビ等への出演等をこなしておられます。歴女とか刀剣女子とかのお城版を早くから実践しておられた方です。足で稼ぎご覧になっておられる城はあまた、、、萩原氏がその魅力を語る時は、一般目線に専門的視点を交えておられるので、歴史やお城に興味をお持ちの方はより興味が増し、深まると思われます。
専門は日本近世国家成立史。本能寺の変は明智光秀の単独行動ではなく、足利義昭が黒幕との説を発表し、話題になりました。「謎とき本能寺の変」が書店に平積みになって、お読みになられた方もいらっしゃるかと思います。明智光秀の氏素性があいまいなのに、いきなり歴史の表舞台に現れてくるところや、当時の書簡・史書等から謎ときをしていく等、歴史ファンにはたまらないと思います。
1968年、細川隆一郎の娘に生まれ、洗礼名ガラシャ。父娘関係を綴った「娘のいいぶん~がんこ親父にうまく育てられる法」で第15回日本文芸大賞女流文学新人賞を受賞。熊本藩主・細川忠興の末裔。内閣総理大臣であった細川護熙氏とは遠戚関係。政治、教育、地方自治の講演をはじめ、各種コーディネーターとしても辣腕をふるわれます。
ものまねタレントとして有名ですが、歴史好きタレントとしても有能な方です。歴史番組の経験がより一層磨きをかけたのか、歴史上の有名人を大河ドラマで演じた俳優やタレントのものまねで披露する芸が絶品です。歴史に関する知識も相当お持ちなので、歴史シンポ等でも分かりやく印象に残るお話が聞かせてもらえます。
1961年広島県生まれ。愛知県立大学日本文化学部教授。学生時代に正倉院文書の面白さに目覚めたそうです。文書の専門家。1999 年にはNHKのラジオ番組で半年間「天平の光と影―正倉院文書が語る古代の日本」を 担当。文書はもちろん日本語で書いてあるのですが、一般にはちょっととっつきにくいところがあります。ところが、そこのところをおもしろく解読、解説してくださいます。著書に『正倉院文書の世界』(中公新書)。
1953年生まれ。ご専門は歴史材料科学、文化財学、博物館学。金属材料を中心に古代から現代まで、材料と技術、歴史を説き明かしておられます。京都大大学院工学研究科、東京藝術大大学院美術研究科修了。学術博士。奈良国立文化財研究所上席研究員、京都国立博物館学芸部長などを歴任され、2017年から現職。高岡市美術館館長、石見銀山資料館名誉館長を務めておられます。金・銀・銅で世界一番だった(こともあった)日本、金属の技術発達は錬金術とか、キャッチな表現を用いられ興味を掻き立てて頂きました。
色の専門家。衣食住から景観まで、色によってよくなったり、悪くなったりします。その大切さはカラーコーディネートが様々な分野でとりいれられ、デザインと同じく感性の世界といったイメージが強い。ところが、渡辺さんが手掛けてこられたカラーテクニカルコンサルティングは、色を科学的に学術的にとらえ、説得力にあふれ、実践していく仕事です。
行政・自治体のまちづくりをはじめ企業の建築物・商品等の実績もさることながら、教鞭をとりより実践的なカラコンサルティングを伝授しておられます。